沖縄レンタカーPROブログ

世界遺産 座喜味城跡 【観光】

2015年02月28日

 




PROの長男が5歳くらいの時に家族でドライブがてら遊びに来て以来だから、15年くらいご無沙汰しているかもしれませんねぇ。
ちょっとお天気が不安定でしたが、頑張って読谷村の世界遺産「座喜味城跡」までやって来ました。


午後1時半ころには到着したのですが、生憎到着直前に小雨から少し雨脚が強くなり、とても写真を撮れるコンディションではなくなっちゃいました (T0T)

しかし、ここまで来てなんの成果もなく帰るのはもったいない。
西の空には雲の切れ間も見えるので、歳をとって少し気が長くなったPROはちょっと待ってみる事にしました。
(というよりも腹も膨れタ状態でロングドライブだったので、テイク・ア・ナップ したかっただけかもw)



  



浅い眠りで待つ事約40分。(フツー、サラリーマンではこんな時間のロスは認められないだろなぁ~...)

雨は上がり、青い空もちょこっとだけ覗いているし、駐車場には大型の貸切バスもやって来ていました。

何が嬉しいって、PROが撮影できるようになったことよりも、折角沖縄まで来てくれた観光客の皆さんが、お天気のせいで座喜味城跡を遠目から観るだけ ...という残念な観光にならずに済んだことが良かった、良かった♪


お客さん達の日頃の行いが良かったんでしょうね。

旅行中、天気が悪いのは添乗員のせい。
天気が良いのはお客さんのおかげ ...ってよく言われたわw






当たり前かもしれませんが、15年前に比べるとインフラが格段に良くなっていますね。

この駐車場のあたりは石がゴロゴロしていたし、歩道もキレイになってるし、案内板もちゃんと目につくところに掲示されるようになっていました。

団体の貸切バスにも十分な駐車スペースが確保されていますし、沖縄レンタカー をご利用のお客様も安心してお越しいただけますよ。



この読谷村は近年人口増加が急伸していて、現在日本で一番人口が多い“村” となっています。
人口増加の要因は、なんといっても米軍基地の返還に因るものが大きいでしょう。

読谷村は、太平洋戦争で地上戦を繰り広げた沖縄本島の米軍の上陸地であったことからも、戦後米軍の施政下で村の約90%を米軍に接収され、日本復帰時点でもまだ73%を占めており、県内でも大きな負担を抱えていた村でした。

現在では村の約40%まで米軍の占有は減り、読谷補助飛行場後には新しい村役場や中学校、ホールなどの文化施設や複合体育施設、JAの大型ショッピング施設などが移設や新設をして賑わっています。


また、古堅や大木エリアは、返還により嘉手納町から読谷村に抜ける道が整備されクルマと人の流れが円滑化し、イオンタウンを中心として様々な商業施設がどんどん建ち並ぶようになりました。

生活の利便性が向上したわけですから、結果、読谷村に移住してくる方々も多くなり、アパート、マンション、住宅地分譲などがすごいスピードで進んでいます。


こういう実例を見ると、米軍基地の返還は間違いなくプラスに働いていますよね。






リュウキュウマツに囲まれた導線を歩くと、ほどなく「二の郭」の外壁が見えてきます。

この日は2月の下旬でさほどお天気は良くない日でしたが、気温28℃と汗ばむ日で、雲の切れ間から差す日差しをマツ林がちょうどいい塩梅に遮ってくれていました。

ちょっと湿度が気になるけど、暑くもなく、寒くもなく ...で過ごしやすい一日でしたよ。






「二の郭」の入り口傍に、社寺や歴史建造物には定番の“薀蓄” が掲示されてます。

若い頃はこの類が苦手だったなぁ... f(^^;
絶対読まなかったです。

社員旅行などでもガイドさんが一生懸命説明しているのを無視してスルー。
喫煙所を見つけてスパスパ煙草吸ってたなぁ。
とっても失礼。今更ながらガイドさんゴメンナサイ (-人-;)


歳をとるとなんなでしょう?
こういうのを何故かマメに読んじゃうようになりました。

NHKの大河ドラマで、エピローグ的にドラマの舞台となった場所を1分くらいで紹介しますが、時々行った事のある場所が流れると、「あ、ココ行った事ある。なんだ、そういう歴史のある場所だったんだぁ...。もっとちゃんと見学しときゃよかった(悔)。」なんて事が良くあります。






上の写真が「二の郭」に入る時の出入口。

下の写真が「二の郭」から「一の郭」への出入口です。



  




「一の郭」にやって来ました。
まぁ、ここは日本のお城でいう所の“天守” があったところです。

ここは“護佐丸” という人が築城したお城で、尚巴志さんが今帰仁場を陥落させた後、北山を監視する意味で護佐丸を置いて見張らせたとの事です。


この護佐丸は、諸説に今帰仁城主の曾孫だったりとか、後に中城城の築城(改築?)にも関わったりだとか、世界遺産群の複数のお城に関わっており、王様じゃないのに偉い臣下だったんだという事が分かります。

沖縄の有名なお芝居にも登場するですよ。



  



先程の大型貸切バスとは別の団体さんもやって来ました。
写真を撮ってたら追いつかれちゃいましたw


前述で護佐丸の事をあーだ、こーだ言ってたでしょう・
実はこの団体さんをエスコートしていたバスガイドさんの受け売りなんですよ f(^^;

ガイドさんのお話に耳を傾けていると、お客さん達のおしゃべりも聞こえてきます。

東北系、関西系、西日本系 等々、いろいろな地域の言葉が入り混じっていましたので、“共同運行バス方式” という、全国からお客様が集まって、那覇空港からみんな同じバスに乗るパターンみたいです。

こういうスタイルの魅力は、
“あれ、お宅さん、どちらからいらしたとですか?”
“あぁ、ウチらは大阪から来ましてん、でんがなまんがな”
...みたいに、全国の知らない土地から集まった方々が、“袖すり合うも他生の縁” という事で仲良くなったりして、旅行が終わっても連絡を取り合ったり、なんて事もあるんですよ。


沖縄がそういう出逢いの場になるのって、とてもステキだなぁと思います。



  



PROが沖縄の城跡にお邪魔して、一番好きなのが上の写真のような外郭の線を撮る事です。

直線ばかりでもなく、曲線ばかりでもなく、歪な凹凸があったり...。

日本のお城のそれとはまったく違う趣が、沖縄の特別なアイデンティティーを改めて意識できるのかもしれません。



  



沖縄の城跡には手摺がありませんので、郭の辺によっては堕ちると危ないところも。

団体のお客さん達がたどたどしイントネーションの「いっちぇーならんどー」が聞こえてきます。

で、英語の併記を見て“あぁ、そういう意味ね!” って。英語より通じないのか...w



  



城跡のあたりはまた少し曇ってきました。

東シナ海の方は海が暗くなってきましたが、雲間から光が下りてきているようでなんだか神々しい感じです。


城跡のもうちょっと北側はまだ青い空がのぞいています。
展望公園みたいなものがあるので、そこでも別アングルで東シナ海と撮ってみました。

ほぼ同じ時間でちょっとだけアングルを変えただけで、まったく別の海に見えますね。






駐車場のすぐ傍には、「読谷村律美術館」、「読谷村立歴史民俗資料館」も併設されています。

お時間にゆとりのあるお客様は是非こちらもお立ち寄りくださいませ。



追記)
おクルマのお客様はお帰りの際、左側に下りていくと一方通行違反になるのでご注意ください。
ちょっと標識が見逃しやすいです。

PROは今回思いっきりやらかしましたので、すれ違ったクルマにけっこうイタイ視線を浴びせられました。
反省です。









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