沖縄レンタカーPROブログ

世界遺産 中城城跡 【ドライブ】

2012年03月09日






太平洋と東シナ海を同時に望むことができる中城城跡。
わった~しま宜野湾市のお隣り中城村にある自慢の世界遺産です♪


小・中・高校で必ず遠足の目的地にあがるこの場所は、慣れ親しんでいるもののその歴史は小学校3~4年の社会の時間に習ったくらい。
実際の歴史そっちのけでこの界隈の人間に浸透している母親のような景勝地です。


という事でちょっとだけ歴史の講釈ですw

14世紀中頃、やまとの世では室町時代に、先中城按司の初代が台城に居城を構え中城城を築き始め、その後一族が数世代にわたり南の郭、西の郭、一の郭、二の郭を築造したと言われています。
1440年、護佐丸が王命により座喜味城から移封、勝連の攻撃に備えて三の郭と北の郭を増築し完成させました。
1458年旧暦8月15日、勝連按司阿麻和利が首里王府軍の総大将として中城城を急襲。護佐丸滅亡後、中城城は王府の直轄地となり、王族又は1469年まで代理者が管理したようです。
1879年、明治政府が「琉球処分」を強行。廃藩置県により琉球は沖縄県となり、1700年代前半に設置された中城間切番所はそのまま一の郭に存続。
その後、1800年代後半に中城小学校や中城村役場の前身である中城間切役場が開設されましたが、1900年代前半に小学校は屋宜に移設、中城村役場は第二次世界大戦において焼失し、城郭内は無人地域となりました。
終戦後すぐに、民政府(琉球側)と中城村自治体を中心とした“中城村協議会”によって城跡の公園計画が進められ、1950年に売店・遊技場・闘牛場・レストランを備えた中城公園として復活。経営は民間企業に移譲されたり、再び中城村(加えて北中城村)に移管されたり、決して安定しているとは言えませんでした。
そうもしながらも2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録。2006年に日本城郭協会より「日本100名城」に選ばれ今に至ります。





上の写真は南の郭の下に広がる“ガンジャーガマ”から望む中城湾。
南は知念、北は勝連の両半島に抱かれ、西海岸のエメラルドグリーンの海と異なり空と同化したスカイブルーの海色です。


こうしてみると南部のグスクロードと勝連城跡とアーチ状になっていて、なにか悠久の歴史を感じさせますね。
残念ながら観光地としてはやんばるの今帰仁城跡、読谷の座喜味城跡ほど名が売れておらず、訪れる観光客も他の世界遺産グスク群の中では少ない方ではないでしょうか(泣)

私が訪れたこの日も大きな駐車場に沖縄レンタカーはほとんど停まっていませんでした。というより駐車場に車がほとんどありませんでした(泣×2)







帰りに中城若松の墓にも立ち寄りました。
中城若松は、安谷屋の若松ともいい、玉城朝薫作の組踊「執心鐘入」(1719年)の主人公のモデルとなった人物。
また、中城若松は尚円王(金丸)と安谷屋ノロとの間に生まれた子どもともいわれた安谷屋城主。のち首里に上り、上間村(現在の那覇市上間)の地頭職に就き「章氏」の始祖となったといわれています。


宜野湾市民としては世界遺産の中城城跡、近接する護佐丸の墓、そしてこの中城若松の墓がセットで観光名所として発展するといいですね。





このページのTOPへ